2010年09月19日

バルカン半島の旅日記 9月11日 ブラン城・ブカレスト編

吸血鬼ドラキュラのモデル、ヴラド・ツェペシュの祖父も住んだ、ブラン城へ。小説でも、ドラキュラ伯爵の城のモデルにしている。そう聞いて、おどろおどろしいイメージを想像していたが、意外に明るい雰囲気だった。

ブラン城

城内部

アズカ村というところで、ワイナリーに立ち寄る。スパークリングワインと赤ワインを試飲。売店で売っていたワインの安さに驚く。飛行機の重量制限がなければ、沢山買っていきたいところだが、一本だけ。

ワイナリー

試飲

2日前に訪れたシナイアの、ペレシュ城へ。
これは19世紀末のルーマニア王、カロル1世の夏の離宮。ドイツルネッサンス様式の華やかな城で、オーストリアやドイツによくある城のような雰囲気だった。華麗で美しい城だが、個人的にはもうちょっと渋い感じの方が好きなんだけど。
この日は土曜日で天気も良く、観光客で賑わっていた。

ペレシュ城

周りのドイツ風のお屋敷もいい感じ。お金持ちの別荘も多い。

別荘

昼食後、ブカレストへ。
市のはずれにある凱旋門。パリのよりも小さい。

凱旋門

1989年のルーマニア革命の舞台となった革命広場。思ったより広くない。
この建物は旧共産党本部で、故チャウシェスク大統領がここで最後の演説をし、群衆に大ブーイングを受けた。身の危険を感じてヘリコプターで逃げたものの、捕えられて処刑された。そんな激動の時代の舞台になった所。

革命広場

チャウシェスクが造らせた、世界で二番目に大きな建造物、「国民の館」。
「国民の〜」というのは名ばかりで、実際は独裁者の個人的な宮殿である。
中には入らなかったが、とにかく絢爛豪華な造りだそうで、100%チャウシェスクの私欲の為に造られたもの。そんな予備知識を持って実物を見ると、権力にしがみつく人間の愚かさを感じて、ぞっとする。
共産党時代の無機質な建物に宮殿のニュアンスを加えたような、それにしてもちっとも美しくない。どうせなら、もうちょっとセンスあるデザインに出来なかっただろうか。
現在では国際会議やコンサートホールに使われていて、大物ミュージシャンも多く来ている。あのマイケル・ジャクソンもここでコンサートを行ったそうだが、彼は、大観衆を前にした挨拶で、「ハロー、ブダペスト」と言ったそうだ(汗)。

国民の館

かつてのブカレストは「バルカンの小パリ」と呼ばれるほど美しい街だった。だがチャウシェスクによる無計画な開発により、歴史的な建物の大半が破壊され、当時の面影をほとんど留めていないという。
就任当時のチャウシェスクは、社会主義陣営に属しながらもソ連とは距離を置き、独自の道を歩んでいた。私も覚えているが、西側がボイコットしたモスクワ・オリンピックに対抗して、東側の社会主義国が一斉に不参加を表明したロサンゼルス・オリンピックに唯一参加したり、西側の国からも好意的に見られていた。
しかし、北朝鮮や中国を訪れて、その国の最高権力者がまるで皇帝のように振る舞っているのに憧れて、独裁者になっていったという。
彼に対する評価は様々だそうだが、一人の人間の欲の為に、どれだけのものが犠牲になったか計り知れない。
それが終わったのはほんの20年ほど前、ルーマニアもこれからどんどん変わっていくのだろうが、どんな方向に向かうのか、見当もつかない。
堅い話になったが、ルーマニアという国を訪れて、自分の目で見た正直な感想である。

明日に続く…
posted by MIKA at 22:41| Comment(3) | 日記
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